遅いスタートに直面したとき、今日できる最も小さなこと
うまくできるかどうか分からず、立ち止まったままの人に必要なのは、大きな決意ではなく、今すぐできる一歩なのかもしれません。
私たちは、始める前に自分の年齢を数えがちです。今から始めたら、もう遅すぎるのではないか。すでに先を進んでいる人たちに追いつけるだろうか。本当にこれが、自分の進むべき道なのだろうか。動画の中の人物も、44歳でロシアの航空宇宙工学を学ぶことを決めたとき、同じ問いを耳にしました。周囲の人々は、その年齢から勉強を始めて、本当に自分の望む仕事ができるのかと尋ねました。
彼の物語を知ったからといって、その不安が一度に消えるわけではありません。むしろ、不安を感じながらも前に進むことができた瞬間を見せてくれます。
確信を持つ前に、道がいつも見えるとは限らない
彼は子どもの頃に通いたかった学校へ行くことができず、その後27年間、スイカを育てて過ごしました。農業が順調なときでさえ、川の方を見ながら、「本当にこれが、自分の進むべき道なのだろうか」と考えていたそうです。この問いは、失敗した人だけが抱くものではありません。生活が安定していても、別の方向について考えずにはいられない人のもとにも訪れる問いでした。
Daejeon Stationで夜間学校の生徒募集のチラシを偶然目にすると、彼は家に立ち寄ることさえせず、そこへ向かいました。5年間、毎日欠かさず通いました。遠い未来を最初から完成させようとしたのではなく、その日に目の前で見えた、次にできる行動をただ一つ実行したのです。

立ち止まらざるを得なかった時間も、道の一部である
台風で農場が壊れたとき、どれほど努力しても自分には control できないことがあるのだと気づいたそうです。彼の無力感は、ただもっと一生懸命勉強すれば消えるような感情ではありませんでした。それは、人生における優先順位を考え直すよう迫った出来事でした。
私たちには皆、物事が計画どおりに進まない時期があります。そのとき、しばらく立ち止まったり、方向を変えたりすることは、意志が弱いという意味ではないかもしれません。向き合わなければならない現実を、もう一度見つめる時間にもなり得ます。続けるべきものと手放すべきものを見分けられるのは、立ち止まった後だけということもあります。
大きな決意より、繰り返す小さな行動
ロシアでは、彼は言葉をほとんど理解できず、まともにノートを取ることさえできませんでした。それでも授業に出席し、理解できない教材を何度も見続け、ほかの学生たちが参加する復習会にもついていきました。疲れ果てたり、辞めたくなったりしたときは、散歩に出て、それからまた勉強するために机に向かいました。コンサートに通うことで、孤独や困難にも耐えました。
この物語は、最後まで耐え抜けばすべてがうまくいくという約束ではありません。ただ、今日すべてを解決できなくても、明日また戻ってこられる小さなリズムをつくれるのだと伝えています。本を1ページ読む、話す必要のある人に尋ねる、短い散歩をして戻ってくる。結果を保証しない行動でも、次の日の自分のために選んだ決断になり得ます。
まだ試していない自分の一部を、じっくり見つめる
年齢を重ねてからうまくできるか不安で、結局来なかった人たちのことを思いながら、彼は「私は試しただろうか」と自分に問いかけてみるとよいかもしれないと言います。この問いは、もっと自分を追い込めという命令とは少し違います。完璧に準備できていたかではなく、たとえごく小さな形でも試したことがあるかを尋ねるものです。
今日、人生の方向を決める必要はありません。ただ、長い間心に残っているものがあるなら、それを判断する前に、一度だけ少し近づいてみることはできます。一度調べてみる。一度尋ねてみる。一度、向き合って座ってみる。始まりは、ときに並外れた勇気として訪れるのではなく、まだ確信を持てない人が、自分の感じているものから目をそらすのをやめる方法として訪れるのです。