野生コムギゲノムからの収量向上への鍵の発見:10亜種を網羅する四倍体コムギパンゲノム地図の完成

背景
コムギゲノムの複雑さ:気候危機と世界的な食料安全保障に直面する中での課題
コムギは、世界のカロリー摂取量の約20%を支える主要作物です。気候変動や人口増加に直面し、農業生産性を劇的に向上させることが急務となる中、複雑なコムギゲノムは研究上の大きな課題となっています。現代のパンコムギ(四倍体コムギ)は、2つの異なるサブゲノムに由来しています。
単一の参照ゲノムの限界を克服するためのパンゲノムの必要性
従来の研究は、個々の品種に由来する単一の参照ゲノムに依存してきました。しかし、このアプローチでは、異なる品種間で観察されるゲノムの多様性を完全に捉えることはできません。作物の生産性向上と気候変動への適応力(レジリエンス)の強化を達成するためには、複数の亜種の遺伝情報を網羅するパンゲノムの構築が不可欠です。
主な知見
12個のゲノムから構築された四倍体コムギのグラフベースパンゲノム
研究チームは、10の亜種を代表する12の四倍体コムギ品種のゲノムを解読し、四倍体コムギとして初となるグラフベースのパンゲノムを構築しました。分析の結果、染色体再編成がサブゲノム間の非対称性と遺伝的分化を駆動する主要な要因であることが明らかになりました。研究チームは、1品種あたり平均25万個の構造変異(SV)を特定し、その大部分が転移因子(TE)の活性によって引き起こされていることを突き止めました。
脱粒性の低下と粒サイズの増大を制御する分子的な鍵の特定
さらに、世界中の736品種を対象とした集団ゲノム解析により、地域の環境に適応した明確なサブグループが明らかになりました。本研究は、野生コムギの栽培化の過程で出現した重要な形質である「非脱粒性(non-brittle rachis)」の背後にあるメカニズムの解明に成功しました。研究チームは、特定のレトロトランスポゾンの挿入によって非脱粒性を担うBtr1-A遺伝子を不活性化し、収量を最大化する新しい対立遺伝子(アレル)を特定しました。
さらに、ゲノムワイド関連解析(GWAS)により、32の農学的形質に関連する287の遺伝領域が特定されました。その中でも、15番染色体に位置する転写因子(TF)であるHAT14-B遺伝子は、粒の大きさと1穂あたりの小穂数を同時に増加させることで、生産性の向上に寄与することが明らかになりました。
意義と展望
気候危機に対応するオーダーメイド型コムギ品種開発のための基盤
新たに構築された四倍体コムギのパンゲノムは、農業生産性の向上を目指す現代の育種に新たなブレイクスルーをもたらします。単一の参照ゲノムではアクセスできなかった有用な遺伝的多様性を回復させることで、干ばつや高温などの気候変動に強いオーダーメイド型の作物を開発することが可能になります。
パスタからパンへ:食料安全保障の新たな地平
しかし、研究成果を実際の栽培に導入するまでには、まだ解決すべき課題が残されています。特定された有用遺伝子が様々な環境条件下で安定して発現するかどうかを検証するために、大規模な圃場試験が必要です。さらに、この複雑なゲノム情報を実際の育種プログラムに統合するための技術支援ソフトウェアも求められています。
Nature Genetics, Published online: 22 July 2026; doi:10.1038/s41588-026-02680-1We constructed a tetraploid wheat pangenome from 12 genomes covering all 10 recognized subspecies. Combined with graph-based pangenome and population genomic analyses, we investigated untapped beneficial alleles, determined domestication trajectories, revealed convergent rachis non‑brittleness, and identified genomic loci that underlie agronomic trait variation.
本研究は、気候危機への対応や、オーダーメイド型で高付加価値な作物の開発に向けた具体的なシナリオを提示しています。例えば、乾燥気候に適応した野生種由来の耐乾燥性SV(構造変異)をパンゲノムデータベースで追跡し、分子マーカーとして利用することができます。さらに、研究チームはCRISPRを用いてHAT14-B遺伝子を微調整し、1穂あたりの粒数を最大化しつつ粒サイズを大きくすることで、パスタ用の超多収性デュラムコムギ品種の開発を試みています。これらの研究成果は、パン用コムギ品種の改良にも相互応用が可能であり、世界の種子産業に対して遺伝子ベースの育種ソリューションを直接提供することが期待されています。